日本歴史地名大系 「東風平間切」の解説 東風平間切くちんだまぎり 沖縄県:沖縄島南部東風平町東風平間切沖縄本島南部の島尻郡中央部に位置する。東は大里(うーざとう)間切、西は豊見城(とうみぐすく)間切、北は真和志(まーじ)間切、南風原(ふえーばる)間切、南東は具志頭(ぐしちやん)間切、南西は兼城(かにぐすく)間切・高嶺(たかんみ)間切に隣接する。島尻方一五間切の一。古琉球期の間切制度のもとでは東風平間切という行政単位であった。里積記によると首里城から東風平(くちんだ)村間切番所まで二里一合二勺一才(二里四町余)。嘉靖三年(一五二四)四月二〇日の辞令書(南島論叢)に「こちひらの大やくもい」がみえる。「おもろさうし」に当間切に関する歌は少なく、巻七の四六、巻一の一一一に「きすゝ」、巻一三の二一六に「きすゝ大やこ」とある三首のみである。グスクにはチヂグスク、アマチヂグスク、カナグスク、テミグラグスク、世名グスク、ヂリグスク、八重瀬(やえせ)グスクなどがある。正保国絵図では「東風平間切(こちびらまぎり)」の高一千五八四石余。絵図郷村帳には東風平(くちんだ)・与那城(ゆなぐしく)・友利・「たうめ」・下箱(したはく)、新城(あらぐしく)(現具志頭村)、赤嶺(あかんみ)・きし本(もと)の八ヵ村が東風平間切に所属している。ただし、赤嶺・きし本は享保二一年(一七三六)段階で「当時無之」と記されている。琉球国高究帳では東風平・与那城・友利・当目(とーみ)・新城の五ヵ村が含まれ、合高一千五八四石余、うち田一千八五石余・畠四九九石余。寛文八年(一六六八)の琉球国郷帳でも高と田高は変わらず、畠高四七七石余・桑役二一石余。絵図郷村帳で真和志間切に含まれる「ぎすす村」(宜寿次村)・友寄(とうむし)村・今帰仁(なちじん)村、豊見城間切に含まれる小城(くぐしく)村は、里積記では東風平間切に編入されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by