日本歴史地名大系 「郡戸庄」の解説
郡戸庄
ごうどのしよう
郡戸庄
こおるどのしよう
現海津町・
「吾妻鏡」文治二年(一一八六)六月九日条に「春近并郡戸庄年貢事」とあるが、当庄かどうかは不明。建長二年(一二五〇)一一月日の九条道家初度惣処分状(九条家文書)に「美濃国郡戸庄」とあり、本家は八条禅尼、領家は道家室の准后綸子、地頭は鎌倉幕府評定衆の中原師員。また「地頭師員此一両年不進御年貢、被仰子細於関東、御返事未到」と注記され、地頭の未進のため九条家が幕府に訴えていることが知られる。
郡戸庄
こおとのしよう
近世の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報