松下重綱(読み)まつした・しげつな

朝日日本歴史人物事典 「松下重綱」の解説

松下重綱

没年:寛永4.10.2(1627.11.9)
生年:天正7(1579)
江戸初期の大名。陸奥国二本松藩(福島県)の藩主。父は 遠江国(静岡県)久野城主之綱,母は松下連昌の娘。遠江国生まれ。幼名左助。石見守。はじめ豊臣秀次に仕え,慶長3(1598)年徳川家康に仕えて父の遺領1万6000石を継ぐ。関ケ原の戦(1600)では東軍に属し,8年常陸国(茨城県)小張へ転封大坂の陣(1614,15)でも活躍し,元和2(1616)年下野国(栃木県)烏山藩2万石余へ転封。寛永4(1627)年二本松藩5万石へ移った。二本松で死去

(長谷川成一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松下重綱」の解説

松下重綱 まつした-しげつな

1579-1627 織豊-江戸時代前期の大名。
天正(てんしょう)7年生まれ。松下之綱(ゆきつな)の長男。慶長3年遠江(とおとうみ)(静岡県)久野(くの)城主となり,徳川家康につかえる。常陸(ひたち)小張(おはり)藩,下野(しもつけ)烏山(からすやま)藩をへて,寛永4年陸奥(むつ)二本松藩(福島県)藩主松下家初代。5万石。寛永4年10月2日死去。49歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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