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松前公広 まつまえ きんひろ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松前公広 まつまえ-きんひろ

1598-1641 江戸時代前期の大名。
慶長3年生まれ。松前盛広(もりひろ)の長男。祖父慶広(よしひろ)のあと,元和(げんな)3年蝦夷(えぞ)地(北海道)松前藩主2代となる。砂金場の開発,近江(おうみ)商人の受け入れなど藩財政の確立につとめた。寛永18年7月8日死去。44歳。初名は茂広(しげひろ),のち武広(たけひろ)。通称は甚五郎。名は「きみひろ」ともよむ。
【格言など】来し道も帰る道にもただ独りのこる姿は草の葉の露(辞世)

松前公広 まつまえ-きみひろ

まつまえ-きんひろ

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

松前公広

没年:寛永18.7.8(1641.8.14)
生年:慶長3(1598)
江戸前期,松前藩(北海道)の第2代藩主。幼名は竹松丸,長じて茂広,武広と称した。初代藩主慶広の長男・松前盛広(1608年没)の嫡子,母は家臣下国直季の娘。元和3(1617)年祖父慶広の後を継いで2代藩主となる。対外政策に重点を置いた慶広に対し,公広は専ら内政に取り組み,城下町の建設,金山の開発,和人地の確定,商場知行制の実施など,松前藩体制の基礎となる事業を行った。このためのちに「御一生の間,金銀米満蔵ニ諸人敬神あつく,民を救ひ」と評された。「来し道も帰る道ニも只独り のこる姿は草の葉の露」という辞世から,事業半ばで倒れた公広の心情を窺うことができよう。<参考文献>『松前町史』通説編1巻上

(桑原真人)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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