朝日日本歴史人物事典 「松前公広」の解説
松前公広
生年:慶長3(1598)
江戸前期,松前藩(北海道)の第2代藩主。幼名は竹松丸,長じて茂広,武広と称した。初代藩主慶広の長男・松前盛広(1608年没)の嫡子,母は家臣下国直季の娘。元和3(1617)年祖父慶広の後を継いで2代藩主となる。対外政策に重点を置いた慶広に対し,公広は専ら内政に取り組み,城下町の建設,金山の開発,和人地の確定,商場知行制の実施など,松前藩体制の基礎となる事業を行った。このためのちに「御一生の間,金銀米満蔵ニ諸人敬神あつく,民を救ひ」と評された。「来し道も帰る道ニも只独り のこる姿は草の葉の露」という辞世から,事業半ばで倒れた公広の心情を窺うことができよう。<参考文献>『松前町史』通説編1巻上
(桑原真人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報