朝日日本歴史人物事典 「松平頼常」の解説
松平頼常
生年:承応1.11.21(1652.12.21)
江戸前期の讃岐国高松藩(高松市)藩主。江戸生まれ。通称は幼名鶴松,鶴千代,のち兵部,右京,左近衛権少将に任ぜられる。父は水戸藩主徳川光圀。母は玉井親次の娘。寛文4(1664)年高松藩主松平頼重の養子となり,延宝1(1673)年頼重隠居により12万石を継ぐ。襲封当時はまだ藩政確立期にあたり,当初から藩財政は窮乏,家臣の俸禄借上げ,質素倹約の徹底などに努めた。その結果20万両の蓄財ができたという。法令の整備を行い,城下には藩校講堂を創建した。学問を好み,藩校では家臣の子弟や庶民にまでも儒学を学ばせた。前藩主頼重の別邸であった栗林荘(栗林公園)の庭普請を行った。
(小柴良介)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報