朝日日本歴史人物事典 「松平頼徳」の解説
松平頼徳
生年:天保2.4.3(1831.5.14)
幕末の水戸藩支藩宍戸藩(茨城県友部町)藩主。弘化3(1846)年父頼位の隠居により家督相続,1万石を領した。元治1(1864)年水戸藩士藤田小四郎ら天狗党が,幕府に攘夷決行を迫るため筑波山に挙兵,これに対し同藩市川三左衛門ら諸生派が江戸より水戸城に入って対立。幕府は水戸藩主徳川慶篤に天狗党鎮圧を命じ,頼徳が目代で江戸にいる尊攘派の水戸藩士らを率いて出陣,しかし水戸城に入れず那珂湊に赴いたところへ天狗党が合流し諸生派と交戦となる。そのため幕府に事情を説明せんとしたが容れられず捕らえられ,切腹を命ぜられた。<参考文献>『水戸市史』中巻5
(上野秀治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報