朝日日本歴史人物事典 「松平頼恕」の解説
松平頼恕
生年:寛政10.6.22(1798.8.4)
江戸後期の讃岐国高松藩(高松市)藩主。江戸生まれ。通称は幼名熊次郎,のち昶之助。左近衛権中将に任ぜられる。父は水戸藩主徳川治紀。母は家臣中山氏の娘。文化12(1815)年高松藩主松平頼儀の養子となり,文政4(1821)年頼儀隠居により12万石を継ぐ。藩の財政が窮乏していたため,会計に家老木村亘(黙老)を登用し徹底的な倹約と経費節減を行った。塩田の開発を行い,また天保6(1835)年には当時一級品であった砂糖の取引を円滑化するため砂糖為替の法を定めた。これら財政立て直しの一連の政策を「天保の改革」と呼ぶ。学問にも熱心で,水戸の学風を継ぎ史書『歴朝要紀』を編纂し,朝廷に献上した。
(小柴良介)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報