松戸町
まつどまち
[現在地名]松戸市松戸・三矢小台・本町・二十世紀が丘柿の木町・二十世紀が丘中松町・二十世紀が丘萩町・二十世紀が丘美野里町
現松戸市域の南西部、江戸川左岸の低地と下総台地が接する辺りに位置する。水戸道の宿場町であった。武蔵国新宿(現東京都葛飾区)を過ぎた水戸道は同国金町(現同上)で江戸川を渡って当町に至り、北方の次宿小金宿に向かっていた。このほかにも市川へ向かう往還、布佐(現我孫子市)へ向かう往還(なま道・松戸道)、金ヶ作へ向かう往還、流山へ向かう往還(松戸―野田往還など)が集まり、江戸川の松戸河岸も置かれていた。「更級日記」によれば、寛仁四年(一〇二〇)上総介であった父菅原孝標とともに帰京の途にあった作者は「くろとの浜」をたち、総武国境の太井川(現在の江戸川)の瀬であった「まつさとのわたりの津」に一泊している。この「まつさと」は松戸のこととされる。「本土寺過去帳」には松戸・マツト・末渡などの表記で地名が散見する。年紀の早いものでは嘉吉元年(一四四一)とある妙仙尼に「マツト」、長禄二年(一四五八)六月とある妙如尼に「松戸敬観家中母」などの注がみえ、年代の記されていない当地関連の結縁者も数多い。文正元年(一四六六)六月三日、将軍足利義政が千葉氏家臣原信濃入道に宛てた御内書(御内書案)に「松渡城郭肝要之由」とみえ、当時地内に原氏の居城であった松戸城があり、同氏支配下にあったことが推定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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