松本滝蔵(読み)マツモトタキゾウ

デジタル大辞泉 「松本滝蔵」の意味・読み・例文・類語

まつもと‐たきぞう〔‐たきザウ〕【松本滝蔵】

[1901~1958]政治家広島の生まれ。幼少期に渡米し、帰国後は日米野球界の交流貢献。第二次大戦後は甲子園球場などの接収解除に尽力したほかアメリカンフットボール普及にも貢献した。

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「松本滝蔵」の解説

松本 滝蔵
マツモト タキゾウ


肩書
衆院議員

生年月日
明治34年3月

出生地
広島市

学歴
明治大学商学部〔昭和5年〕卒 ハーバード大学大学院〔昭和13年〕修了

経歴
日本女子大学教授、フィリピン国立大交換教授、明大教授、理事を経て、昭和21年以来衆院議員当選5回。22年以後片山哲内閣、第1次岸信介内閣各外務政務次官、第1〜3次鳩山一郎内閣官房副長官を歴任。フィリピン賠償全権委員、日ソ国交正常化全権委員顧問、サンフランシスコ講和会議派遣、ベルリン五輪、ヘルシンキ五輪、マニラ・アジア大会日本代表役員を務めた。またパシフィック・サービスセンター理事長、日本体育協会理事なども歴任した。

没年月日
昭和33年11月2日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「松本滝蔵」の解説

松本 滝蔵
マツモト タキゾウ

昭和期の政治家 衆院議員。



生年
明治34(1901)年3月20日

没年
昭和33(1958)年11月2日

出生地
広島県広島市

学歴〔年〕
明治大学商学部〔昭和5年〕卒,ハーバード大学大学院〔昭和13年〕修了

経歴
日本女子大学教授、フィリピン国立大交換教授、明大教授、理事を経て、昭和21年以来衆院議員当選5回。22年以後片山哲内閣、第1次岸信介内閣各外務政務次官、第1〜3次鳩山一郎内閣官房副長官を歴任。フィリピン賠償全権委員、日ソ国交正常化全権委員顧問、サンフランシスコ講和会議派遣、ベルリン五輪、ヘルシンキ五輪、マニラ・アジア大会日本代表役員を務めた。またパシフィック・サービスセンター理事長、日本体育協会理事なども歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松本滝蔵」の解説

松本滝蔵 まつもと-たきぞう

1901-1958 昭和時代の政治家。
明治34年3月20日生まれ。明大をでてハーバード大大学院にまなぶ。日本女子大教授,明大教授・理事をへて,昭和21年衆議院議員(当選5回,自民党)。フィリピンとの賠償全権委員などをつとめた。昭和33年11月2日死去。57歳。広島県出身。

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