日本歴史地名大系 「松森町」の解説 松森町まつもりまち 青森県:弘前市弘前城下松森町[現在地名]弘前市松森町城の南東に位置し、土手(どて)町から富田(とみた)町に至る道筋の町並。北は楮(こうじ)町、南は品川(しながわ)町に接し、町内ほぼ中央を釜萢(かまやち)堰が縦貫。寛文一三年(一六七三)の弘前中惣屋敷絵図(市立弘前図書館蔵)に、取上御派(とりあげおはだち)町として町割され、東端の取上(とりあげ)村との境には枡形が設置される。延宝五年(一六七七)の弘前惣御絵図(同館蔵)に「トリアケハタチ町」として、派頭作兵衛・理右衛門ほか八七軒の町屋がある。 松森町まつもりまち 青森県:青森市青森湊町松森町[現在地名]青森市青柳(あおやぎ)二丁目・堤(つつみ)町一丁目の各一部大工(だいく)町の東に接し、新博労(しんばくろう)町ともよばれた。貞享四年(一六八七)の検地では、四九人の町人と百姓一人が記され、ほかに町奉行役屋敷二・御目付役屋敷一があった(青森市沿革史)。享保一〇年(一七二五)の青森町惣家別相改帳(八木橋文庫蔵)によれば七四人の町人がいた。味噌・醤油の醸造業者や酒造業者があり、またその奉公人や駄夫が多く住んでいたという(青森市町内盛衰記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by