改訂新版 世界大百科事典 「オプリチニナ」の意味・わかりやすい解説
オプリチニナ
oprichnina
原義は14~15世紀にモスクワ大公家の成員に分与された特別所領を指すが,普通は1565-72年に設定された皇帝直轄領とそれに属する軍隊などの諸制度およびその間の分権的勢力の一掃を目ざすイワン4世の政策を総称する。イワン4世は困難なリボニア戦争,側近との衝突,大貴族への懲罰と彼らの反抗に直面して,1565年退位をもって国民を脅迫し,非常大権を得たうえで,特別の領域,軍隊,財政,行政をもつオプリチニナを創設した。この直轄領は公国の要地の半ばを占め,主に士族より成る独自の部隊オプリチニクoprichnikをもった。直轄領以外の地域は〈ゼムシチナzemshchna〉の名称をとり,貴族会議がこの領域を支配したが,重要問題についてはイワンの同意を必要とした。イワンは,オプリチニナに属さない貴族,士族の所領を没収して直轄領より追放し,その土地を寵愛する士族たちに与えた。重税とオプリチニクの略奪,農奴化の進展によって国土は荒廃した。府主教,貴族などがオプリチニナの廃止を願うと,60年代末に彼らに対する処刑が著しく増加し,70年にはノブゴロドの町の大虐殺が行われ,多数の市民が犠牲となった。この恐怖政治によって貴族を中心とする反集権的な封建勢力は大打撃をうけて没落し,イワン4世の専制権力の著しい強化をみた。71年クリム・ハーンの侵攻がゼムシチナの軍隊に撃退されたことを機に,72年にこの制度は廃止された。
執筆者:伊藤 幸男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報