日本歴史地名大系 「松江城跡」の解説
松江城跡
まつえじようあと
松江市街を南北に分ける
松江藩の大工頭を勤めた竹内家に相伝された竹内右兵衛書付(松江城山事務所蔵)には、一七世紀末頃の松江城の実測の記録が載る。天守閣は高さ約三〇メートル、五層六重で前面に付櫓があり、下見黒板張りで白壁が少なく、壁面には隠狭間(鉄砲・弓矢用)が計九四ヵ所もある。石落しも多数設けられ、内部の階段は軽くて引上げやすい桐材が使われ、中央に深さ二四メートルの井戸が掘られるなど実戦を想定した構造で、安土・桃山期の様式を伝える城郭建築史上極めて貴重な遺構である。天守閣は国指定重要文化財、松江城跡地は国指定史跡となっているが、三の丸跡地は県庁舎の敷地となっている。
〔築城〕
松江築城は慶長八年に幕府の許可を得て同一二年から着工し、同一六年に一応の完成をみる(「雲陽大数録」など)。堀尾吉晴の普請上手はよく知られ、「太閤記」の著者小瀬甫庵が設計を担当し、土木工事の名手といわれた稲葉覚之丞も参画したといわれるなど、当時の築城技術の第一人者がかかわった。吉晴は亀田山北部に仮殿を造って工事全体の指揮監督に当たり、石工・大工・泥工・瓦工などは大坂築城の経験者を招いたといわれ、天守の瓦のなかには「大坂瓦師太右衛門」の銘のあるものも残っている。工事の第二年度は本丸の石垣工事などで、石材のほとんどは近隣の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報