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堀尾忠晴 ほりお ただはる

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

堀尾忠晴 ほりお-ただはる

1599-1633 江戸時代前期の大名。
慶長4年生まれ。堀尾吉晴の孫。堀尾忠氏の長男。慶長9年6歳で出雲(いずも)松江藩主堀尾家2代となる。祖父吉晴が補佐した。松江城の築城をすすめ,16年富田(とだ)城から移転。大坂冬・夏の陣で活躍した。寛永10年9月20日死去。35歳。嗣子がなく家はたえた。幼名三之助

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朝日日本歴史人物事典の解説

堀尾忠晴

没年:寛永10.9.20(1633.10.22)
生年:慶長4(1599)
江戸初期の大名。出雲国(島根県)松江藩の藩主。父は忠氏。出雲国生まれ。幼名三之助。山城守。慶長9(1604)年忠氏の死により6歳で襲封したが,祖父吉晴が実際の国政をみた。16年元服し2代将軍徳川秀忠の一字を拝領。大坂冬・夏の両陣(1614,15)で活躍した。江戸で死去。跡継ぎがいないため堀尾家は断絶した。

(長谷川成一)

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世界大百科事典内の堀尾忠晴の言及

【堀尾氏】より

…室町~江戸初期の武家。高階(たかしな)氏の支族。高階泰経(やすつね)の曾孫邦経以来尾張丹羽郡に勢力を扶植し,その4代の孫忠泰が初めて堀尾を称したという。忠泰4代の孫泰政のとき織田信長の父信秀に仕え,その子泰晴は信長に従って活躍した。泰晴の子堀尾吉晴は豊臣秀吉の家臣として多くの戦いに従軍,1590年(天正18)浜松12万石を与えられた。1600年(慶長5)関ヶ原の戦ののち隠退,子忠氏が出雲・隠岐24万石を領したが,忠氏は4年後に死去。…

※「堀尾忠晴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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