松浦鎮次郎(読み)マツウラ シゲジロウ

20世紀日本人名事典 「松浦鎮次郎」の解説

松浦 鎮次郎
マツウラ シゲジロウ

大正・昭和期の教育者,教育行政文相;貴院議員(勅撰);九州帝大総長。



生年
明治5年1月10日(1872年)

没年
昭和20(1945)年9月28日

出生地
愛媛

学歴〔年〕
東京帝大法科大学政治科〔明治31年〕卒

経歴
内務省に入り、明治35年文部省参事官、39年米英留学。のち専門学務局長、文部次官、京城帝大、九州帝大各総長に就任。その後、教育審議会委員、枢密顧問官、勅撰貴院議員を経て、昭和15年1〜7月米内内閣文部大臣に就任、市町村義務教育費国庫負担法を成立させた。編著書に「明治以降教育制度発達史」(全12巻)、「教育行政法」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 ウラ 学歴

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「松浦鎮次郎」の解説

松浦 鎮次郎
マツウラ シゲジロウ


肩書
文相,貴院議員(勅撰),九州帝大総長

生年月日
明治5年1月10日

出生地
愛媛県

学歴
東京帝大法科大学政治科〔明治31年〕卒

経歴
内務省に入り、明治35年文部省参事官、39年米英留学。のち専門学務局長、文部次官、京城帝大、九州帝大各総長に就任。その後、教育審議会委員、枢密顧問官、勅撰貴院議員を経て、昭和15年1〜7月米内内閣の文部大臣に就任、市町村義務教育費国庫負担法を成立させた。編著書に「明治以降教育制度発達史」(全12巻)、「教育行政法」などがある。

没年月日
昭和20年9月28日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松浦鎮次郎」の意味・わかりやすい解説

松浦鎮次郎
まつうらしげじろう

[生]明治5(1872).1.10. 愛媛
[没]1945. 東京
大正・昭和期の教育行政家。 1898年東京帝国大学法科大学卒業。東京府参事官を経て 1902年文部省に入り,大臣秘書官,会計課長を歴任後,06年からアメリカ,ドイツに留学して教育行政を研究。帰国後専門学務局長を経て 24~27年文部次官。京城帝国大学総長をつとめ,29~36年九州帝国大学総長。退任後同大学名誉教授。これより先 30年勅選貴族院議員,38年枢密顧問官。 40年1月米内内閣の文部大臣に就任したが,内閣更迭により同年7月辞任,再び枢密顧問官に任じられた。学制改革熱意もち,その研究資料として,教育史編纂会を組織して『明治以降教育制度発達史』 (12巻,1939) を刊行した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松浦鎮次郎」の解説

松浦鎮次郎 まつうら-しげじろう

1872-1945 明治-昭和時代前期の官僚
明治5年1月10日生まれ。35年内務省から文部省にうつり,文部次官をへて,京城帝大総長,九州帝大総長を歴任。のち貴族院議員,枢密顧問官となり,昭和15年米内(よない)内閣の文相。昭和20年9月28日死去。74歳。愛媛県出身。東京帝大卒。

松浦鎮次郎 まつうら-ちんじろう

まつうら-しげじろう

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「松浦鎮次郎」の解説

松浦 鎮次郎 (まつうら しげじろう)

生年月日:1872年1月10日
大正時代;昭和時代の官僚。貴族院議員
1945年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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