日本歴史地名大系 「板倉氏屋敷跡」の解説 板倉氏屋敷跡いたくらしやしきあと 京都市:中京区城巽学区姉東堀川町板倉氏屋敷跡[現在地名]中京区姉東堀川町近世初期に京都所司代を務めた板倉氏の京屋敷。慶長一六年(一六一一)より明治維新まであった。屋敷の大きさは表は堀川(ほりかわ)通に面し間口七間余、町裏の間口が四〇間ほど、裏行四〇間ほどであった(京都御役所向大概覚書)。天明・元治の大火に類焼し、明治維新の際、廃された。板倉勝重は家康の信任厚く、駿府町奉行・江戸町奉行の後京都所司代を務め、その子重宗ともでその支配は慶長六年より承応三年(一六五四)まで五〇余年にわたり、徳川幕府京都支配の基を築いた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報