日本歴史地名大系 「板持庄」の解説
板持庄
いたもちのしよう
現板持一帯に成立した安楽寺(太宰府天満宮)領庄園。寛仁三年(一〇一九)七月一三日の大宰府解写(「小右記」寛仁三年八月条裏書)によると、同年の刀伊の入寇の際、女真族に捕らわれた「筑前国志摩郡安楽寺所領板持庄人」二人等が高麗より帰還し、このうち内蔵石女は同日付で高麗往復の状況を報告している(「内蔵石女等解写」同上)。応安七年(一三七四)四月五日の今川了俊書下(御供屋文書/南北朝遺文(九州編)五)によると、天満宮雑掌の訴えにより松浦馬場三河権守・松浦中村若狭権守に「筑前国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報