板沢村(読み)いたざわむら

日本歴史地名大系 「板沢村」の解説

板沢村
いたざわむら

[現在地名]大館市板沢

大館盆地西端部の米代川南流域に位置し、南側を引欠ひかけ川が西流する。慶長二年(一五九七)の浅利頼平領内村数覚書(秋田家文書)に、「いたさわ 畠 家五」とあり、中世後期の館が現存する櫃崎ひつざき赤石あかいしに隣接する。

元和元年(一六一五)梅津半左衛門の許可により「比内板沢村ノ内さいはち袋」が注進開によって開発され(一関文書)、大館佐竹文書(県立秋田図書館蔵)によれば寛永三年(一六二六)には大館城代も村内の一部を開田した。


板沢村
いたざわむら

[現在地名]遠野市上郷町板沢かみごうちよういたざわ

青笹あおざさ村の南に位置する。南東から北西早瀬はやせ川が流れ、川沿いに南東切掛きりかけ村に通じる。文治五年(一一八九)源頼朝が藤原氏を滅ぼしたのち阿曾沼広綱に遠野一二郷を与えたが(阿曾沼興廃記)、このうち上六郷のうちに板沢が含まれるという。同氏の家臣板沢平蔵の本拠地で、板沢氏は館石たていしにあった板沢館を居城とした(同書)


板沢村
いたのさわむら

[現在地名]熱塩加納村 居廻いまわり

山岩尾やまいわお村の西方山間の傾斜地にある。板ノ沢とも記し、東を五枚沢ごまいざわ川、西をさわ川が南流する。集落は南東の花立はなたて山、南西の木菟みみずく山、西の蝸牛かたつぶり山、同山のさらに西のたぬき山などの山々に取囲まれる。木曾組に属し、「会津風土記」に村名が載る。文化一五年(一八一八)の村日記では高九二石余。旧高旧領取調帳では高一一四石余。「新編会津風土記」によると家数一八、周囲二町の小鷹狩田こたかかりた堤があり、また村内の清水は干天時にも涸れることがなかったという。蝸牛山南麓の岩窟内に虚空蔵堂があり(現在は岩窟前の平地に堂宇を祀る)、同堂本尊の木造虚空蔵菩薩坐像には永享三年(一四三一)八月の年紀と智仙禅尼の墨書銘がある。


板沢村
いたさわむら

[現在地名]掛川市板沢

城東きとう郡に所属。小笠おがさ山の北東麓、上小笠川の上流域にあり、北は佐野さや満水たまり村・杉谷すぎや村・上張あげはり村・結縁寺けちえんじ村・南西郷みなみさいごう村。秋葉街道が通る。正保郷帳に村名がみえ、高四一〇石余の内訳は田方三一五石余・畑方五九石余、山札三五石余、支配は旗本井上領一七二石余・横須賀藩領二三七石余。国立史料館本元禄郷帳では米津・井上・大草の旗本三家の相給。旧高旧領取調帳では板沢村下組とみえ、米津領二二三石余・井上領二五一石余・大草領一四石。「遠淡海地志」では家数八〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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