新撰 芸能人物事典 明治~平成 「林 広守」の解説
林 広守
ハヤシ ヒロモリ
- 職業
- 雅楽師
- 専門
- 笙
- 肩書
- 宮内省雅楽部副長
- 旧名・旧姓
- 林 広金
- 別名
- 幼名=栄之助
- 生年月日
- 天保2年 11月25日
- 出生地
- 大坂・天王寺(大阪府 大阪市)
- 経歴
- 天王寺方楽人・林広倫の三男に生まれ、京都の楽人・林広就の養子となる。養祖父の広済に舞を、養父に笙を学んだ。天保12年地下楽人として11歳で宮中に仕え、左兵衛権少尉、弘化元年14歳で中芸試験に優等及第、安政4年筑前守、慶応元年上芸試験に満点で及第。なお、試験制度始まって以来満点は彼を含めて5人だけである。明治元年内侍所非常付勤番。明治4年東上し、宮内省雅楽局の設立に際しては中心的な役割を果たし、同年大伶人に任ぜられた。7年雅楽局の伶人たちに西洋音楽の研修が命じられると、8年に伝習生徒取締、次いで9年に欧洲楽拍子取となり、伝習生の監督に当たった。10年からは東京女子師範学校の委嘱で保育唱歌の撰譜を行い、自ら「百鳥」「菊ノカザシ」「陸奥山」などを作曲。雅楽譜の作成なども指導した。13年国歌制定委員となり、「君が代」の作曲を監督。これは四等伶人であった奥好義が実際に作曲したものといわれているが、当時の社会や制度上、外面上の問題から一等伶人たる林が作曲者として公表された。17年雅楽師副長、21年雅楽部副長を経て、26年退官。笙の名手であるとともに笙の簧(した)の製作にもすぐれた。他の作品に「造化之妙」「夏山」「鏡山」「春」「夏」「秋」「冬」「神武天皇祭之歌」などがある。
- 没年月日
- 明治29年 4月5日 (1896年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報