デジタル大辞泉
「鏡山」の意味・読み・例文・類語
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かがみ‐やま【鏡山】
- [ 一 ] 滋賀県南部、野洲(やす)市と竜王町の境にある山。ふもとに鏡宿があった。標高三八五メートル。龍王山。歌枕。
- [初出の実例]「鏡山いざたちよりてみてゆかん年へぬる身はおいやしぬると〈よみ人しらず〉」(出典:古今和歌集(905‐914)雑上・八九九)
- [ 二 ] 福岡県中東部、香春(かわら)町の地名。神功皇后が新羅(しらぎ)征討に際し、神々に祈願したという所。
- [初出の実例]「梓弓引き豊国の鏡山(かがみやま)見ず久ならば恋しけむかも」(出典:万葉集(8C後)三・三一一)
- [ 三 ] 佐賀県唐津市東端にある山。松浦の佐用姫が山上から領巾(ひれ)を振って大伴狭手比古に別離を惜しんだという。領巾振(ひれふる)山。褶揺峰(ひれふりのみね)。まつら山。
- [ 四 ] 広島県東広島市西条町にある山。室町時代、大内氏が西条城を築き、安芸国(広島県西部)を支配したが、大永三年(一五二三)尼子経久に攻められて落城した。
かがみ‐の‐やま【鏡山】
- [ 一 ] 京都市山科区北部にある山科御陵(天智天皇陵)のうしろの山。
- [初出の実例]「やすみしし わご大君の かしこきや 御陵仕ふる 山科の 鏡山(かがみのやま)に 夜はも 夜のことごと」(出典:万葉集(8C後)二・一五五)
- [ 二 ] =かがみやま(鏡山)[ 一 ]
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
鏡山
かがみやま
松浦佐用姫の伝説により領巾振山ともいう。唐津市と東松浦郡浜玉町にかかる松浦潟に臨み、孤立した男山で、標高二八三・七メートル。松浦地方で古くから知られた山で、松浦山ともよばれる。また四方より望めば七つの形容を示すので七面山とも称する。鏡山の呼称は、神功皇后朝鮮出兵の折戦勝を祈念して、鏡をこの山頂に埋めたことより起こるという(鏡神社記)。鏡山は北に虹の松原・唐津湾を望む地にあり現在、玄海国定公園に含まれている。
佐用姫ゆかりの地は旧松浦郡の各地に残るが、次のような伝説である。新羅が任那を侵したので、勅命により任那・百済の連合軍を助けるため軍を率いて松浦にやってきた大伴狭手彦は、篠原(現東松浦郡厳木町または現唐津市内とされる)の長者の娘佐用姫と恋仲となった。
鏡山
かがみやま
現鏡山に比定される。古代は小丘と認識されており、中世はそれを含む一帯の地名となり、その名は近世の鏡山村に継承された。「豊前国風土記」逸文(万葉集註釈)によると、神功皇后がこの山に登って国見をし、鏡をこの山に安置したところから鏡山の名が起こったという。「万葉集」巻三には河内王が鏡山に葬られた際の歌が載る。河内王(川内王)は持統三年(六八九)閏八月二七日に筑紫大宰帥に任じられ、同八年四月頃に没した(日本書紀)。現在鏡山に河内王陵墓として宮内庁指定一級参考地の外輪崎古墳があるが、築造年代は六世紀後半とみられ時代が合わない。
鏡山
かがみやま
竜王町と野洲郡野洲町の境界に位置し、主峰は雨乞岳(三八四・六メートル)、竜王山などともよばれ、山頂には磐座が残り、現在貴船神を祀る小祠が建つ。北方の支峰は星ヶ峰と称される。山麓には数多くの古墳が分布し、竜王町鏡から薬師にかけての間だけでも五〇基以上を確認する。また野洲町域を含む北麓一帯には県下最大級の須恵器窯跡群が分布する。山名は山麓の古墳から鏡が出土したことによるとも、壬申の乱で大友皇子と戦った大海人皇子の武将鏡大君が当地で討死し、葬られたことから名付けられたとも伝える。山容の美しさもあって、古来歌枕として知られ、近江名山の一つに数えられた。寛平九年(八九七)一一月二〇日の醍醐天皇の大嘗祭で近江は悠基国となり、大伴黒主は「近江のや鏡の山をたてたれはかねてそ見ゆる君か千年は」(古今集)と詠じ、歌題に用いる必要から元暦元年(一一八四)九月に著名な古地名を近江国司が注進した。
鏡山
かがみやま
延岡市と北川町の境界に位置する山。標高六四五・四メートル、県内の九州山地の最東端にあり、日豊海岸の眺望に優れる。稜線は北東に延び、黒岩峠を経て岳山(六一三・八メートル)・飯塚山(五七一・四メートル)に続く。地質は中生代白亜紀の四万十累層群の泥質千枚岩で、部分的に玄武岩層を含んでいる。山頂部は比較的なだらかで丸みを帯びているが、南東部斜面は急勾配である。
鏡山
かがみやま
山科盆地の北に位置し、「万葉集」巻二の、額田王が天智天皇の山科陵を歌った挽歌に「山科の鏡の山」とある。のちに「山州名跡志」が「鏡山 陵別名」というように、鏡山といえば山科陵と同義となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
鏡山(佐賀県)
かがみやま
佐賀県北西部、唐津湾(からつわん)の湾奥背後にある山。標高284メートル。別名領巾振山(ひれふりやま)、古くは松浦山(まつらやま)とも称した。唐津市のほぼ中央に位置する。花崗(かこう)岩の上に玄武岩をのせ、頂上部が平たいテーブル状のメサ地形をなす山塊。北、西側はかつて低平な潟地(かたち)をなし、松浦潟(まつらがた)などと称した。北の前面に東の浜の砂州状砂丘が東西に発達し、特別名勝の虹の松原(にじのまつばら)が続く。玄海国定公園(げんかいこくていこうえん)の一中心をなし、頂上展望台からの唐津湾周辺の眺望は絶景。眺めのきく北側には七曲りの広い登山道路がある。『万葉集』に「海原の沖行く船を帰れとか領巾(ひれ)振らしけむ松浦佐用姫(まつらさよひめ)」などとある佐用姫の悲恋伝説で有名。土地の長者の娘松浦佐用姫がこの山から領布を振って、朝鮮半島の任那(みまな)に渡る大伴狭手彦(おおとものさてひこ)との別離を悲しんだと伝え、領布振山の別名を生む。周辺には国指定重要文化財の朝鮮鐘(大平六年九月の銘あり)をもつ恵日寺(えにちじ)があり、島田(しまだ)塚古墳ほか旧跡が多い。唐津駅から車で約30分。
[川崎 茂]
鏡山(滋賀県)
かがみやま
滋賀県中部、蒲生(がもう)郡竜王町(りゅうおうちょう)と野洲市(やすし)との境にある山。雨乞岳(あまごいだけ)竜王山(385メートル)と星ヶ峰(ほしがみね)(207メートル)の総称。石英斑岩(はんがん)からなり、近江(おうみ)名山の一つである。歌枕(うたまくら)でも有名。山腹から山麓(さんろく)にかけて甲山(かぶとやま)古墳、円山(まるやま)古墳(ともに大岩山古墳群として国史跡)や須恵器(すえき)焼成用の登窯(のぼりがま)群が多く、竜王町須恵の地名は須恵工人の所在を物語る。北部を中山道(なかせんどう)(国道8号)が通る交通の要地で、中世の宿駅鏡(野洲市)は源義経(よしつね)が奥州下りのときに元服した地と伝えられる。鏡山や鏡宿の名は『吾妻鏡(あづまかがみ)』『平治物語』『源平盛衰記』『太平記』『古今集』などにみられる。壬申(じんしん)の乱(672)のおり、大海人皇子(おおあまのおうじ)の武将鏡大君が戦死したことから鏡山の名がつけられたともいう。
[高橋誠一]
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鏡山 (かがみやま)
佐賀県北西部の山。唐津市の市街地南東方にあり,唐津湾の湾奥松浦潟に臨む。標高284m。山名は,神功皇后が朝鮮出兵の戦勝を祈念して鏡を山頂に埋めたことによると伝える。また任那に渡る大伴狭手彦(おおとものさでひこ)の軍船に向かって,土地の長者の娘松浦佐用姫(まつらさよひめ)がこの山から領巾(ひれ)を振って別離を悲しんだという伝説から,領巾振(ひれふり)山の別名があり,《万葉集》などに歌われている。花コウ岩の上に玄武岩をのせたテーブル状の山で,玄海国定公園の一中心をなす。山頂に展望台,眺望のきく北側には登山道路があり,眼下に虹ノ松原,唐津城や唐津市街地が望まれる。周辺には古墳などが多い。
執筆者:川崎 茂
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かがみやま【鏡山】
埼玉の日本酒。酒名は、近江商人が故郷の日野にちなんで付けた銘柄を創業時に受け継いだもの。少量仕込みでていねいに醸す。純米大吟醸酒、大吟醸酒、純米吟醸酒、吟醸酒、純米酒がある。平成25年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米は主に山田錦、吟ぎんが、さけ武蔵。蔵元の「小江戸鏡山酒造」は明治8年(1875)創業。平成12年(2000)廃業するが、同19年(2007)再興。所在地は川越市仲町。
出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報
鏡山
(通称)
かがみやま
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 元の外題
- 一ノ富蓬莱亭 など
- 初演
- 元文3.11(京・中村富十郎座)
鏡山
〔宮古路〕
かがみやま
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 初演
- 安永9.1(京・中山座)
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の鏡山の言及
【鏡宿】より
…その後も尊氏は,51年(正平6∥観応2)弟直義を追討する際に宿陣している。このほか鏡宿は《古今集》などによまれた名勝鏡山のふもとにあることから,鎌倉期の紀行文である阿仏尼の《十六夜日記》や《東関紀行》などにもその名がみられる。【宮島 敬一】。…
※「鏡山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」