柏倉陣屋跡
かしわぐらじんやあと
[現在地名]山形市柏倉
延享四年(一七四七)下総佐倉藩羽州領のうち、村山郡内の約二万石が陸奥棚倉藩領となると、同藩は柏倉村に陣屋を設置してその支配に当たった。宝暦一三年(一七六三)同領は再び佐倉藩領となったが、陣屋はそのまま受継がれ、その後幕府領の時代を除き、明治三年(一八七〇)の陣屋廃絶まで佐倉藩羽州領支配の中枢となった。
村山郡における佐倉藩領は、初め約二万石であったが、明和元年(一七六四)七千石余、さらに安永三年(一七七四)の村替で一万二千石余が加わり、四六ヵ村・四万一千石余となり、固定化した。柏倉・門伝・村木沢・古館・下反田・上反田・深沢・滝平・常明寺・沼木・吉野宿・船町・陣場・陣場新田・江俣・上山家・下山家・植野・大野目・前明石・吉原・下桜田・中桜田・飯田・青田・小立・岩波・平清水・谷柏・下宝沢・上宝沢・津金沢・上野・高湯・山神・半郷・山田・成沢、要害・根際・大塚・北作・畑谷(現東村山郡山辺町)、金谷村・小白府(現上山市)、大石田村(現北村山郡大石田町)の四六ヵ村である(村山郡石高帳)。なお天明七年(一七八七)佐倉藩主堀田正順は大坂城代に就任、これに伴って出羽国内の同藩領四六ヵ村は上知となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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