日本歴史地名大系 「村山郡」の解説
村山郡(近世)
むらやまぐん
郡域は古代の村山・最上二郡のうち、ほぼ最上郡の全域と村山郡の南半部を占め、現在の村山地区にあたる。山形県のうち南部の
山形城主最上義光は慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原の合戦に連動したいわゆる出羽合戦で徳川家康にくみし、同七年村山・最上両郡に庄内全域、および出羽
村山郡
むらやまぐん
- 山形県:出羽国
- 村山郡
仁和二年(八八六)に、それまでの最上郡のうち北半が分れて成立した郡で、近世初期に最上・村山両郡の呼称が逆転するまでは、現在の山形県内陸部の北部、新庄市および最上郡全域、北村山郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報