柚木太淳(読み)ゆのき・たいじゅん

朝日日本歴史人物事典 「柚木太淳」の解説

柚木太淳

没年:享和3.2.18(1803.4.9)
生年:宝暦12(1762)
江戸中期の眼科医。眼科領域に西洋医学を導入した。字は仲素,尭民,号は鶴橋。近江国(滋賀県)生まれ。代々眼科医で,父太玄は法眼。江村北海に経書を学び,内科荻野元凱に,産科賀川玄悦の孫満定に学ぶ。寛政9(1797)年,官許をえて京都西郊刑場近くの地で男の刑屍解剖した。この記録を2年後『解体瑣言』と題して刊行。眼の解剖所見は『眼科精義』に載せたという。『解体瑣言』には解剖図を載せず,解剖したときの人員,備品,解剖をするときの約束事などをくわしく記した。江戸時代の解剖の様子を知る貴重な史料である。<参考文献>京都府医師会編『京都の医学史』,富士川游『日本医学史』

(蔵方宏昌)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柚木太淳」の解説

柚木太淳 ゆのき-たいじゅん

1762-1803 江戸時代中期-後期の医師。
宝暦12年生まれ。柚木太玄(たいげん)の長男。荻野元凱(おぎの-げんがい)に内科を,賀川蘭斎に産科をまなぶ。寛政9年刑場で死体を解剖し,「解体瑣言(さげん)」「眼科精義」をあらわした。享和3年2月18日死去。42歳。字(あざな)は尭民。号は鶴橋。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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