朝日日本歴史人物事典 「柚木太淳」の解説
柚木太淳
生年:宝暦12(1762)
江戸中期の眼科医。眼科領域に西洋医学を導入した。字は仲素,尭民,号は鶴橋。近江国(滋賀県)生まれ。代々眼科医で,父太玄は法眼。江村北海に経書を学び,内科を荻野元凱に,産科を賀川玄悦の孫満定に学ぶ。寛政9(1797)年,官許をえて京都西郊刑場近くの地で男の刑屍を解剖した。この記録を2年後『解体瑣言』と題して刊行。眼の解剖所見は『眼科精義』に載せたという。『解体瑣言』には解剖図を載せず,解剖したときの人員,備品,解剖をするときの約束事などをくわしく記した。江戸時代の解剖の様子を知る貴重な史料である。<参考文献>京都府医師会編『京都の医学史』,富士川游『日本医学史』
(蔵方宏昌)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報