柳原寺跡(読み)りゆうげんじあと

日本歴史地名大系 「柳原寺跡」の解説

柳原寺跡
りゆうげんじあと

[現在地名]鳥取市百谷

百谷(ももだに)治水ダム北岸にある。一渓山と号し黄檗宗。近世には鳥取興禅(こうぜん)寺末。創建の時期は不明。開山は提宗。寺名は京都から因幡に下向した公家柳原量光夫妻の墓所と伝える五輪塔二基が百谷にあることにちなみ、五輪塔の傍らにある旧寺地は柳原氏居所の跡とされる。柳原氏の因幡在国は応仁・文明の乱の頃からとみられ、文明六年(一四七四)には在国しており(「親長卿記」同年九月三〇日条)、天文一三年(一五四四)まで資綱・量光・資定の三代にわたり、京都と因幡国の間をしばしば往復している(「公卿補任」など)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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