柳坂村(読み)やなぎさかむら

日本歴史地名大系 「柳坂村」の解説

柳坂村
やなぎさかむら

[現在地名]久留米市山本町豊田やまもとまちとよだ

かぶと山の北麓、西泉にしいずみ村の西に位置する。耳納みのう山中甲山(兜山)・ざゝめき山・植立松、山麓に屋敷地があり、耕地山辺やまべ往還北側に広がる(上三郡絵図)。島津道鑑譜(旧記雑録)延文五年(一三六〇)の記事によると、当地は高良こうら山などとともに征西将軍宮懐良親王方の軍勢八千余騎が陣取った場所とされている。「柏葉抄録」や「太平記」巻三三(菊池合戦事)は同四年のこととする。永禄一二年(一五六九)五月に大友宗麟の軍勢が毛利氏の軍勢と合戦するにあたり、大友方として「六箇国ノ人数相集リ、府中・宗崎・高良内・(阿)志岐・柳(坂)四方五十余町ノ間人馬トモニ充満」したという(大友記)。天正一二年(一五八四)大友義統の家臣戸次道雪や高橋紹運をはじめとする諸将が筑後国に出陣し、高良山・柳坂、北野きたの(現北野町)に陣取って越年したとされる(「薦野家譜」「九州治乱記」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む