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柳川調興 やながわ しげおき

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

柳川調興 やながわ-しげおき

1603-1684 江戸時代前期の武士。
慶長8年生まれ。柳川智永(としなが)の子。対馬(つしま)(長崎県)府中藩家老。対朝鮮外交上の手腕や将軍家とのつながりを基盤に,藩主の宗義成と対立。宗家の国書偽造を幕府に直訴したが,徳川家光の裁定により敗訴がきまり,寛永12年津軽に流された。貞享(じょうきょう)元年10月1日死去。82歳。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

柳川調興

没年:貞享1.10.1(1684.11.7)
生年:慶長8(1603)
江戸前期の対馬藩宗家の家老。豊前守。初め玄蕃頭。号は式山,梅軒,素庵。生家の勢力基盤は,祖父調信の代に築かれる。江戸に生まれ,11歳で家督を相続。徳川家康や秀忠の小姓になるなど幕臣のごとき経歴を重ね,これがやがて藩主宗義成との対立を招く。正妻である義成の妹を離縁,宗家の国書改竄を幕府に直訴した。寛永12(1635)年,将軍徳川家光による親裁の結果,調興の敗訴が決まり津軽へ流罪となる。老中土井利勝の配慮もあって,流罪地へ家臣7名を伴うことを許され,城近くに広大な屋敷を賜る。文武両面に秀でた才能は,藩主津軽信政に敬慕され,流人というより賓客待遇の余生を送った。世に「素庵の詠吟」といわれる和歌の秀作50首を残す。なお晩年には,改竄事件で死罪となった家人松尾七右衛門の実名,智保を名乗り,死してそれを墓碑に刻ませたように,家臣への厚情が知られる。<参考文献>田代和生『書き替えられた国書』

(田代和生)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の柳川調興の言及

【柳川一件】より

…1631年(寛永8)対馬の大名宗義成(そうよしなり)と家老柳川調興(しげおき)の御家騒動から,日朝間の国書の偽作・改竄(かいざん)などの不正が露顕して,幕府外交上の大問題となった事件。柳川氏は調興の祖父調信の代に日朝関係の実務派として台頭,朝鮮と日本の中央政権の双方に独自の地位を築いていた。…

※「柳川調興」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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