宗義成 そう-よしなり
1604-1657 江戸時代前期の大名。
慶長9年1月15日生まれ。宗義智(よしとし)の長男。慶長20年対馬(つしま)(長崎県)府中藩主宗家2代となる。治世中朝鮮通信使の来日は5回におよんだ。重臣柳川調興(しげおき)との対立のなかで国書の偽造,改作が発覚したが,将軍徳川家光の裁断により調興が流罪となり,ひきつづき朝鮮通交貿易にあたった。明暦3年10月26日死去。54歳。初名は貞光。通称は彦七。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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宗義成
没年:明暦3.10.26(1657.12.1)
生年:慶長9(1604)
江戸初期の対馬府中藩主。父は義智,母は阿比留氏。対馬府中の生まれ。初名貞光。従四位下,侍従,対馬守。元和1(1615)年襲封。寛永12(1635)年,国書改竄を巡る重臣柳川調興との争論(柳川一件)に勝利。近世日朝関係の枠組みは義成の時代に整備されたといってよい。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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宗義成 (そうよしなり)
生年月日:1604年1月15日
江戸時代前期の大名
1657年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の宗義成の言及
【柳川一件】より
…1631年(寛永8)対馬の大名宗義成(そうよしなり)と家老柳川調興(しげおき)の御家騒動から,日朝間の国書の偽作・改竄(かいざん)などの不正が露顕して,幕府外交上の大問題となった事件。柳川氏は調興の祖父調信の代に日朝関係の実務派として台頭,朝鮮と日本の中央政権の双方に独自の地位を築いていた。…
※「宗義成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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