朝日日本歴史人物事典 「柴原幾左衛門」の解説
柴原幾左衛門
生年:寛延2(1749)
江戸中・後期,赤穂西浜塩田開発の後援者。播磨(兵庫県)赤穂藩塩屋村の豪商柴原家第10代。通称義民,幾左衛門は世襲名。柴原家は寛文(1661~73)ごろより酒造で富を貯え,明和(1764~72)ごろには酒・味噌・醤油製造,質商,塩・木(製塩燃料)問屋を兼業し,文化年間(1804~18)には田畑23町歩,塩田28町歩,大坂に赤穂藩の掛屋(金融業)3軒を所有し,藩の蔵元役筆頭として勘定所,札座に参画。また16歳で南浜15町歩の開拓資金援助,40歳ころには江戸浜7町歩の再起の銀主,50歳ころには大土手浜7町歩新開の銀主として313貫匁の投資を行った。文化10(1813)年には知行100石,隠居へ10人扶持,居屋敷年貢御免などの特権を与えられている。<参考文献>河手竜海『近世日本塩業の研究』
(廣山堯道)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報