朝日日本歴史人物事典 「柴山愛次郎」の解説
柴山愛次郎
生年:天保7(1836)
幕末の薩摩(鹿児島)藩士,尊攘派の志士。同藩士柴山良庵の次男。記録所書記,次いで藩校造士館訓導,やがて有馬新七の尊王挙兵論に同調。文久2(1862)年1月,橋口壮介と共に在江戸藩士の教育機関ともいうべき糾合方へ転勤,旅程の途次,各地の志士との交流を広げつつ江戸に着任。翌2年3月島津久光の率兵上洛に応じて大坂に入る。4月23日有馬新七らと伏見寺田屋で挙兵を計画,島津久光の中止命令を伝えに来た使者と闘争,殺害された(寺田屋事件)。兄良助も連座して謹慎,のち許され江戸藩邸留守居添役,慶応3(1867)年12月藩邸が焼打ちされたときに庄内(鶴岡)藩兵に捕らえられ,伝馬町の獄中に自刃。弟の矢八はのちに海軍大将となった。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報