奈良時代,諸道に置かれた官。聖武天皇の731年(天平3),山陽・山陰・南海の3道に置かれ,畿内に置かれた惣管(そうかん)とともに要官が任命された。使の下に判官(じよう)・主典(さかん)各1人があり,使には随身が付せられた。惣管には兵馬の徴発権があったが,鎮撫使にはそれがなかった。その任務は,部内の治安を維持するとともに,国司・郡司の治績を巡察することにあり,おそらく当時の社会不安に対処するために設置されたものと考えられる。停止の年時は明らかでないが,この後,746年にも七道に置かれた。なお,平氏政権期の1181年(養和1),平宗盛が五畿内幷伊賀伊勢近江丹波等国惣管に任命されたときには聖武天皇の例が参考にされており,また1868年(明治1),鳥羽・伏見の戦の後には,維新政府によって総督を長とする鎮撫使が山陰,東海,東山,北陸,九州の諸道につかわされている。
執筆者:笹山 晴生
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奈良時代、諸道に置かれた官。聖武(しょうむ)天皇の731年(天平3)11月、山陽・山陰・南海三道に鎮撫使、畿内(きない)には惣管(そうかん)を置き、要官をこれに任命した。当時これらの地域に盗賊がおこるなどの社会不安があり、その動揺に対処するために置かれたと思われ、管内の治安維持と、国司・郡司の治績の巡察とをその職務とした。停止の年は明らかでない。この後746年4月にも七道の鎮撫使を任じたが、同年12月に廃止された。
[笹山晴生]
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