柴田やす(読み)シバタ ヤス

20世紀日本人名事典 「柴田やす」の解説

柴田 やす
シバタ ヤス

大正・昭和期の教育者 柴田学園理事長。



生年
明治14(1881)年1月1日

没年
昭和25(1950)年5月14日

出生地
青森県青森市

旧姓(旧名)
今村

学歴〔年〕
東京府家事科教員伝習所卒

経歴
19歳で呉服商を営む柴田勇吉と結婚し二児を儲けるが、25歳の時に上京して東京府家事科教員伝習所に学び、教員検定試験に及第して卒業。のち帰郷し、子育てと夫の看病傍らで青森市公立女子実業補習学校などで裁縫や家事を教えた。大正3年弘前に移住して裁縫と手芸私塾を開設、好評を得て次第に生徒を増やし、7年には女子裁縫実践学会を設立した。9年に塾を柴田和洋裁縫学校に改組、さらにこれらを基礎として12年弘前和洋裁縫女学校を開校し、昭和3年には文部省より甲種職業学校の認可を取得。その一方で各地の農村に赴いて裁縫を教授し、戦時中には作業しやすい柴田式改良もんぺを開発、全国的に流行した。終戦後の21年財団法人柴田学園を設立して理事長に就任し、東北女子専門学校を創立。ついで23年柴田女子高等学校、24年に東北栄養専門学校を開き、25年には東北女子短期大学開設の認可を受けるが、同年5月その開学式の席上で急死した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柴田やす」の解説

柴田やす しばた-やす

1881-1950 大正-昭和時代の教育者。
明治14年1月1日生まれ。大正3年青森県弘前(ひろさき)市に裁縫塾をひらき,12年弘前和洋裁縫女学校を開校。戦後柴田学園を設立,柴田女子高,東北栄養学校,東北女子短大を創設した。昭和25年5月14日死去。69歳。青森県出身。東京府家事教員伝習所卒。旧姓は今村。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android