日本歴史地名大系 「栃山村」の解説 栃山村とちやまむら 富山県:滑川市栃山村[現在地名]滑川市栃山早月(はやつき)川が形成した新扇状地の扇央部に位置し、南は平塚新(ひらつかしん)村、西は小林(こばやし)村。寛文一〇年(一六七〇)の村御印によると草高二一一石、免二ツ五歩、明暦二年(一六五六)から万治元年(一六五八)の新田高一四石(三箇国高物成帳)。所属組は上島(かみじま)村と同じ。享保一八年(一七三三)の新川郡村廻帳(川合家文書)では村肝煎は孫右衛門、家数九はすべて百姓。寛政一一年(一七九九)から文化期(一八〇四―一八)の肝煎も孫右衛門で、同一〇年の早月川懸諸用水水高相改申帳(近堂家文書)によると、同人は郷(ごう)用水の井肝煎も勤めていた。 栃山村とちやまむら 島根県:益田市栃山村[現在地名]益田市栃山町益田川支流の大谷本溢(おおたにほんえき)川の上流一帯、韮草(にらくさ)山の北麓に位置し、南は猪木谷(いのきだに)村、北は大谷村。狭小な路が大谷村・大屋形(おおやかた)村・猪木谷村に通ずる。永和二年(一三七六)四月二二日の益田本郷御年貢并田数目録帳(益田家文書)に「杤山方」「杤山」などとみえる。江戸時代の支配の変遷は高津(たかつ)村と同じ。元和三年(一六一七)の竹村丹後守引渡証文(亀井家記稿本)に村名がみえ、高二二七石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by