栄田村(読み)えいだむら

日本歴史地名大系 「栄田村」の解説

栄田村
えいだむら

[現在地名]諫早市栄田町・永昌町えいしようまち永昌東町えいしようひがしまち栄田名えいだみよう

諫早市中北西に位置し、本明ほんみよう川が流れる。近世は諫早郷に属し、枝村に永昌村がある。はじめ肥前佐賀藩親類同格の諫早家領で、慶長国絵図に「真崎ノ内 栄田」とある。元和七年(一六二一)に佐賀本藩に上知されたうちの一村とされる。正保国絵図では栄田村として高六五八石余。元禄国絵図では高六五八石余、エイタの訓を付す。


栄田村
ゆうたむら

[現在地名]森田村上相野かみあいの

田圃を隔てて北は松岡まつおか(現木造町)、東は沖中野おきなかの村、西は上相野村、南西は支村の笹木ささき

天和三年(一六八三)の広須御新田所図に村名がみえ、享保一二年(一七二七)には木造新田に属し、木造通三五ヵ村の一つで村位は下と定められた(平山日記)。享保一六年の検地帳(森田村誌資料追録)によれば、田畑屋敷合せて三一町八反五畝三歩、村高は一五六・八二四石であった。うち田方は一九町二反二畝二歩で一三四・〇八一石、上田から下々田まで設定され、下田が六町四反八畝九歩で四五・三八二石、下々田七町三反四畝一九歩で三六・七三三石とあり、畑方は一二町六反三畝一歩で二二・七四三石、上畑がなく中・下・下々畑で、下々畑が八町六反一六歩、八・六〇四石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android