栖賢寺(読み)せいけんじ

日本歴史地名大系 「栖賢寺」の解説

栖賢寺
せいけんじ

江戸時代のてら町にあったが、昭和五年(一九三〇)京都市左京区に寺基を移した。臨済宗大徳寺派。朝崇山と号し、本尊薬師如来。康永年間(一三四二―四五)に竺堂によって開創されたと伝える。開基竺堂については京都大徳寺七五世の竺堂桂とする説があるが(尼崎志)、竺堂桂の同寺住持は戦国時代で時代が合わないし、当寺は五山十刹に次ぐ寺格の諸山に列せられている五山派官寺であり、「本朝高僧伝」によれば、開山は元から来朝した明極楚俊の法を嗣いだ竺堂円瞿で、当寺には南北朝期頃の木造坐像が現存する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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