栗山村新田
くりやまむらしんでん
[現在地名]石下町栗山新田
東仁連川両岸に村落があり、東は鴻野山村・鴻野山村新田。「飯湖新発記」によれば享保年間(一七一六―三六)の飯沼新田開発によってできた新田村で、栗山村(現八千代町)の村請新田。享保一三年の飯沼新田之内下総国岡田郡栗山村新田検地帳(栗山新田秋葉家文書)によれば勘定奉行筧正鋪の検地により村高一九〇石余、田一一町一反余。天保一四年(一八四三)の村鑑明細書上帳控(同文書)によると宝暦八年(一七五八)幕府代官吉田佳国の検地があり村高が一三石余、田が六町八反余増加。この検地時に作付困難な「水内」として課税対象外となっていた土地のうち三三町余が明和六年(一七六九)幕府代官小林政用・布施胤将の検分によって課税対象地となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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