日本歴史地名大系 「栗熊東村」の解説 栗熊東村くりくまひがしむら 香川県:綾歌郡綾歌町栗熊東村[現在地名]綾歌町栗熊東富熊(とみくま)村の南に位置し、東の羽床下(はゆかしも)村(現綾南町)との境に堤(つつま)山(二〇一・六メートル)があり、南部は讃岐山脈に連なる山地・丘陵で、ここに発する東大束(ひがしだいそく)川が西寄りを北流し、中央部以北に平地が広がる。富熊村と同様の綾益甲(俗に木山長者と称したという)にかかわる地名伝承がある。古代鵜足(うた)郡栗隈(くりくま)郷(和名抄)の遺称地。中世にも公領栗熊郷があり、郷内に栗熊庄が成立。永禄一〇年(一五六七)八月の道者職売券(来田文書)に栗熊郷中一円がみえる。天正七年(一五七九)讃岐に侵攻した長宗我部元親は、栗熊表まで出張して路次を防ごうとした羽床伊豆守に対して、木村又二郎に依頼して和平を画策したが(年未詳一一月二日「長宗我部元親書状」木村家文書)、成功せず当地一帯は戦闘の場となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報