栗隈郷
くりくまごう
「和名抄」刊本は「久里久末」と訓じ、高山寺本は「栗前」と記して「久利久万」と訓ずる。
「日本書紀」仁徳天皇一二年一〇月の条に「大溝を山背の栗隈県に掘りて田に潤く」とみえ、同様の記事が同書推古天皇一五年条にも重出する。同書天智天皇七年二月二三日条に栗隈首徳万、天武天皇一二年九月二日条に栗隈首(連)がみえるが地名を負うた氏族であろう。県主の存在も推定され、古くから開けた地であったと考えられる。
栗隈郷
くりくまごう
「和名抄」高山寺本は「久利久末」、東急本は「久利久万」と訓を付す。中世には公領の栗熊郷がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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