桂文都(読み)カツラ ブント

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「桂文都」の解説

桂 文都(3代目)
カツラ ブント


職業
落語家

本名
梅川 五兵衛

別名
前名=桂 源吾,桂 玉団治,桂 玉輔,桂 伯枝,桂 慶枝

生年月日
?

経歴
初め3代目桂文吾の門人となり、源吾から玉団治を経て玉輔を名乗る。のち2代目桂文枝門に転じ、明治25年11月伯枝、32年3月慶枝と改名を重ね、桂派中堅として活躍する。36年2月三友派へ移り3代目桂文都を襲名。その後三友派を離れ上京するが、38年帰阪して一時期梅川五瓶の名で三友派の各席に出演。同年9月文都に復名し、以降は三友派の重鎮として活躍。上方には珍しい人情噺の専門家として、3代目桂文三・4代目桂文吾と並び名人と称された。「立ち切れ」の文都といわれるほどこの噺を得意とし、ほかに「子はかすがい」「三枚起請」「冬の遊び」などを十八番とした。大正5年10月病気を理由に引退晩年は中風を患うなど不遇の内に終わった。

没年月日
大正7年 12月19日 (1918年)


桂 文都(4代目)
カツラ ブント


職業
落語家

本名
梅川 正二郎

別名
前名=桂 都司男,桂 文鈐,桂 玉輔

経歴
3代目桂文都の子。大正初年、桂都司男の名で反対派に出ていたが、文鈐、さらに玉輔とあらため、大正中期に三友派に加わり、若手勉強会・つぼみ会に参加した。大正11年頃には大八会に加入。その後、上京して4代目文都を継いだといわれる。「味噌蔵」「子別れ」「動物園」などを得意とした。

没年月日
(生没年不詳)

家族
父=桂 文都(3代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

世界大百科事典(旧版)内の桂文都の言及

【落語】より

…円朝が江戸落語の完成者とすれば,円遊は近代落語の祖ともいえよう。 上方では,幕末の落語界を牛耳っていた林家派に対して桂派が台頭し,桂文枝(ぶんし)襲名をめぐる争いから2代桂文都(ぶんと)(1844‐1900)を中心とする浪花三友(なにわさんゆう)派が生まれ,2代文枝を中心とする桂派との競争によって黄金時代を迎えていた。
[落語研究会結成]
 1897年に春錦亭柳桜が,1900年に円朝,燕枝が死去した東京落語界は,円朝没後の三遊派を統率していた4代円生をも04年に失い,上方落語界の隆盛ぶりを見るにつけても善後策をたてねばならなかった。…

※「桂文都」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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