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桓玄 かんげんHuán Xuán

世界大百科事典 第2版の解説

かんげん【桓玄 Huán Xuán】

369‐404
中国,東末の政治家。譙国(しようこく)竜亢(りゆうこう)(安徽省)の人。書家としても有名な教養人。桓温の庶子で,その地盤であった長江(揚子江)中流域に雌伏していたが,政局の混乱に乗じて399年(隆安3)にその地の軍事・政治の全権を握り,402年(元興1)には軍を率いて首都建康(南京)を制圧。403年,安帝に位を譲らせて国号を楚と改め,東晋を滅ぼした。翌年,劉裕らの軍に敗れ,桓氏は滅ぼされて安帝が復位したが,名目だけで,実権は劉裕に握られた。

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世界大百科事典内の桓玄の言及

【紙】より

…こうした紙の流行にもかかわらず,晋の時代にはまだ簡牘(かんとく)の使用が続いた。東晋末に安帝を廃して楚国を建てた桓玄(かんげん)は,公式の文書に簡牘を使用することをやめ,〈黄紙〉を採用することを命令した。黄紙は虫害を避けるため,紙の黄蘗(キハダ)で染めたものである。…

【晋】より

…4世紀末の政権を担当した司馬道子・司馬元顕父子に対して,その政治の乱脈の改革を強硬に迫った王恭は北府軍団長であった。王恭は敗死したが(398),政府の乱脈の機をとらえて蜂起した道教徒の民衆反乱,すなわち孫恩の乱(孫恩・盧循の乱)を平定したのも,また桓玄を駆逐したのも北府軍団の力であった。桓玄は桓温の子。…

※「桓玄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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