桓温(読み)かんおん(英語表記)Huan Wen; Huan Wên

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「桓温」の解説

桓温
かんおん
Huan Wen; Huan Wên

[生]建興1(313)
[]寧康2(374)
中国,東 (→) の政治家,武将。しょう国 (安徽省) の人。字は元子。諡は宣武。 庾翼の跡を継いで,永和1 (345) 年当時,東晋第1の大鎮であった荊州刺史となった。の成を滅ぼし,前秦の軍を破り,さらに前燕を討った。桓温の中原出兵の目的はその成功によって朝廷内の反対勢力を押え,受禅を達成するにあった。しかし前を討ったとき枋頭 (ほうとう。河南省) で敗れたため威名も衰え,野望を達成しないままで死んだ。

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精選版 日本国語大辞典「桓温」の解説

かん‐おん クヮンヲン【桓温】

中国、東晉の武将。譙国、龍亢の人。字(あざな)は元子。成漢の李勢を滅ぼし、征西大将軍、臨賀郡公となる。前の苻健、姚襄を討ち、勢望を集めたが、前燕に敗れて失墜。簡文帝をたて、禅譲を迫ろうとして失敗し、病没。(三一二‐三七三

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世界大百科事典 第2版「桓温」の解説

かんおん【桓温 Huán Wēn】

312‐373
中国,東時代の将軍,政治家。譙国竜亢(しようこくりゆうこう)(安徽省)の人。長江(揚子江)中流域長官として346‐347年(永和2‐3)に四川省の成漢国を討滅し,さらに後趙(ごちよう)滅亡期の大混乱に乗じて北伐を行う。354年,一時は長安近辺まで進出し,356年には洛陽奪回に成功した。この武勲を背景にして東晋の実権を握ったが,365年(興寧3),再び洛陽を前燕に奪われ,369年(太和4)の北伐にも敗れてからは,名声も落ちて帝位簒奪(さんだつ)の野望もついに実現できずに終わった。

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世界大百科事典内の桓温の言及

【晋】より

…そして東晋の政局は,北府と西府の動向を軸として展開された。 たとえば西府をバックとする軍閥の桓温(かんおん)は,蜀の成漢国を滅した(347)のを手始めに,再三にわたる北伐を敢行し,356年(永和12)にはごく一時的ではあるが旧都洛陽の奪還に成功,かかる武功によってにらみをきかせ,禅譲革命をもくろんだ。そのもくろみを失敗に終わらせたのは,宰相謝安の手腕によるところが大であったが,謝安時代にはまた江南の征服をめざして進攻した前秦の苻堅の大軍を淝水の戦で破り(383),難局を切り抜けることを得た。…

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