桜島国宗(読み)さくらじまくにむね

改訂新版 世界大百科事典 「桜島国宗」の意味・わかりやすい解説

桜島国宗 (さくらじまくにむね)

鎌倉時代東大寺再建に活躍した大工生没年不詳。1180年(治承4)焼失し重源ちようげん)が大勧進職となって再建した東大寺の工事を,宋人陳和卿(ちんなけい),日本人工匠の物部為里(もののべのためさと)とともに担当した。86年(文治2)4月10日,為里とともに周防杣山(そまやま)に入って再建用の材木を探し,90年(建久1)10月26日に駿河権守に任命された。年月不明だが従五位下の位を許されている。99年(正治1)8月8日に開始された東大寺三月堂の修理,1203年(建仁3)8月25日完成の東大寺戒壇院造営も担当した。当時の大工の実態は不明な点が多いだけに,受領名や叙位,担当建物のわかる彼の存在は貴重である。13年(建保1)完成の法勝寺九重塔の大工駿河権守桜島国重は,共通する受領名,苗字からみて国宗の子か直弟子であろう。
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朝日日本歴史人物事典 「桜島国宗」の解説

桜島国宗

生年:生没年不詳
鎌倉初期の番匠大工。東大寺大勧進俊乗坊重源の下で,物部為里と共に東大寺伽藍再建に活躍し,従五位下・駿河権守の位官を授けられた。建久8(1197)年には為里と共に戒壇院の造営に,その2年後には法華堂(三月堂)礼堂の造営を行っているが,以降の消息は明らかでない。のち建暦3(1213)年,栄西に従って京都の法勝寺九重塔を造営した大工駿河権守桜島国重は,国宗の子であろう。桜島姓の番匠大工は史料上はこの2人だけである。

(永井規男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桜島国宗」の解説

桜島国宗 さくらじま-くにむね

?-? 鎌倉時代の大工。
東大寺大勧進の重源(ちょうげん)のもとで,物部為里(もののべ-ためさと)とともに大仏殿再建の事業にあたり,建久6年(1195)に完成。駿河権守(するがのごんのかみ)に任じられた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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