日本歴史地名大系 「桜江町」の解説 桜江町さくらえちよう 島根県:邑智郡桜江町面積:一一〇・一〇平方キロ邑智郡の北西部に位置し、東は川本(かわもと)町、南は石見町と那賀郡旭(あさひ)町、西は同郡金城(かなぎ)町、北は江津市および邇摩(にま)郡温泉津(ゆのつ)町、中央部を江川が貫流する。江川の支流八戸(やと)川は中国山地に源を発し、当町域に入って日貫(ひぬい)川・日和(ひわ)川などを合流しながら、八戸・市山(いちやま)・今田(いまだ)・小田(おだ)・川戸(かわど)を流れて江川左岸に入る。邑智・那賀・邇摩の郡界となる西(にし)山(五九三・二メートル)山系を源とする小谷(こたに)川は谷住郷(たにじゆうごう)地域を南西流し、長戸路(ながとろ)川を合せ江川右岸に入る。江川左岸をJR三江線が通り、川戸・田津(たづ)・石見川越(いわみかわごえ)・鹿賀(しかが)の四駅がある。右岸には国道二六一号が通る。古代は邑智郡桜井(さくらい)郷(和名抄)に属したとみられ、のち桜井庄が成立。南北朝期、川戸には土屋氏がおり北朝方として活躍するが、のち足利直冬が石見に入ると直冬党となり、正平五年(一三五〇)高師泰の攻撃を受け市山城が落城した。「海東諸国紀」に「庚寅年遣使来朝書称石見州桜井津土屋修理大夫平朝臣賢宗」とあるが、庚寅年は文明二年(一四七〇)とされ、朝鮮王朝へ使者を送り大陸貿易を図ったのは川戸の鏑越(かぶらごえ)城に拠った土屋氏とされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by