日本歴史地名大系 「桜井庄」の解説
桜井庄
さくらいのしよう
桜井庄
さくらいのしよう
桜井庄
さくらいのしよう
- 新潟県:中頸城郡
- 桜井庄
頸城郡にあった奈良西大寺領の庄園。宝亀一一年(七八〇)一二月二五日の西大寺資財流記帳(国立公文書館蔵)の田薗山野図七三巻のうちに「一巻 頸城郡桜井庄布 在国印」とあるのが初見。その開発が同帳の雑書三九巻とするうちの
<資料は省略されています>
という記載となんらかの関係があり、かつ右の「景雲三年」が神護景雲三年(七六九)の略とすれば、本庄は神護景雲三年から宝亀一一年までの間に成立したと考えられる。しかし位置や変遷については推察の手掛りがなく、その後、建久二年(一一九一)五月一九日付の西大寺所領庄園注文(西大寺文書)の「顛倒庄々」の項に「越後国 桜井庄三千百五十七町九段二百六十四歩在流記」と出ているだけなので、早く荒廃したものと思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報