日本歴史地名大系 「梅北城跡」の解説
梅北城跡
うめきたじようあと
梅北町のほぼ中央、
永享年間(一四二九―四一)の島津領の国一揆後、梅北七五町は島津忠国弟有久(長禄三年戦死、大島氏祖)に与えられ(「大島有久譜」旧記雑録、「島津国史」など)、有久・忠福・忠明の三代にわたり梅北城に在城したという(「伊地知季安考」旧記雑録)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
梅北町のほぼ中央、
永享年間(一四二九―四一)の島津領の国一揆後、梅北七五町は島津忠国弟有久(長禄三年戦死、大島氏祖)に与えられ(「大島有久譜」旧記雑録、「島津国史」など)、有久・忠福・忠明の三代にわたり梅北城に在城したという(「伊地知季安考」旧記雑録)。
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