梅北城跡(読み)うめきたじようあと

日本歴史地名大系 「梅北城跡」の解説

梅北城跡
うめきたじようあと

[現在地名]都城市梅北町

梅北町のほぼ中央、益貫ますのきの梅北川東岸にある。築城の時期は不明だが、島津庄開発領主平季基の居館との伝承がある。その後当地の開発領主伴氏の系譜を引く梅北氏の城であったともされる(三国名勝図会)。建武三年(一三三六)五月一六日の日下部盛連軍忠状(郡司文書)によれば、後醍醐天皇方へ転じた肝付兼重らにくみした人々の拠点の一つに「梅北城」がみえ、五月四日武家方の日下部盛連らと梅北城勢との間で合戦があった。南北朝末期の永和二年(一三七六)南朝方に応じた島津氏久・伊久が大隅・薩摩両国守護を解任され、九州探題今川了俊自身が守護を兼務していた同三年頃とみられる五月一八日の今川了俊書状(禰寝文書)には、当時島津氏久は梅北を攻撃中で、島津伊久は南方に向かっていると伝え、禰寝氏の今川方への与力を求めている。この時期当城主は一揆に加わった今川方の国人であったものか。

永享年間(一四二九―四一)の島津領の国一揆後、梅北七五町は島津忠国弟有久(長禄三年戦死、大島氏祖)に与えられ(「大島有久譜」旧記雑録、「島津国史」など)、有久・忠福・忠明の三代にわたり梅北城に在城したという(「伊地知季安考」旧記雑録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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