梅屋平吉(読み)うめやへいきち

精選版 日本国語大辞典 「梅屋平吉」の意味・読み・例文・類語

うめや‐へいきち【梅屋平吉】

  1. 長唄囃子方(はやしかた)梅屋流の祖。勘兵衛子孫明和安永一七六四‐八一)頃、江戸森田座の小鼓方をつとめる。生没年未詳。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「梅屋平吉」の解説

梅屋 平吉(3代目)
ウメヤ ヘイキチ


職業
長唄囃子方(歌舞伎)

専門

本名
島田 義三郎

別名
初名=梅屋 吉太郎,前名=岡安 喜三吉

出生地
山梨県 甲府

経歴
2代目平吉が甲府在住中、門弟となり、明治16年吉太郎の名を与えられる。30年ごろ上京、4代目岡安喜三郎方に寄宿し、岡安喜三吉の名で笛を吹いていた。のち2代宝山左衛門に属し、38年3代目平吉を襲名

没年月日
大正12年 (1923年)

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20世紀日本人名事典 「梅屋平吉」の解説

梅屋 平吉(3代目)
ウメヤ ヘイキチ

明治・大正期の長唄囃子方(歌舞伎)



没年
大正12(1923)年

出生地
山梨県甲府

本名
島田 義三郎

別名
初名=梅屋 吉太郎,前名=岡安 喜三吉

経歴
2代目平吉が甲府在住中、門弟となり、明治16年吉太郎の名を与えられる。30年ごろ上京、4代目岡安喜三郎方に寄宿し、岡安喜三吉の名で笛を吹いていた。のち2代宝山左衛門に属し、38年3代目平吉を襲名。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梅屋平吉」の解説

梅屋平吉(2代) うめや-へいきち

1827-1893 江戸後期-明治時代の歌舞伎囃子(はやし)方。
文政10年生まれ。4代望月太左衛門の門人天保(てんぽう)8年2代梅屋平吉を襲名。はじめは鼓方であったが,のち笛方に転じた。江戸浅草の御厩河岸(おうまやがし)にすんでいたところから「御厩河岸の平吉」といわれた。明治26年12月24日死去。67歳。前名は望月太八。

梅屋平吉(3代) うめや-へいきち

?-1923 明治-大正時代の歌舞伎囃子(はやし)方。
梅屋派笛方。甲府在住中の2代梅屋平吉に入門。明治30年ごろ東京にでて,4代岡安喜三郎方に身をよせ,喜三吉を名のる。のち2代宝山左衛門(たから-さんざえもん)に属し,38年3代梅屋平吉を襲名した。大正12年死去。山梨県出身。本名は島田義三郎。初名は梅屋吉太郎。

梅屋平吉(初代) うめや-へいきち

?-? 江戸時代中期の歌舞伎囃子(はやし)方。
梅屋派の祖。明和7年(1770)江戸森田座の囃子番付に小鼓方として名がみえる。安永元年まで同座で活躍した。

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朝日日本歴史人物事典 「梅屋平吉」の解説

梅屋平吉(2代)

没年:明治26.12.24(1893)
生年:文政10(1827)
江戸後期・明治期の歌舞伎囃子方。4代目望月太左衛門に師事。前名菊川吉太郎,望月太八。天保期(1830~44),4代目太左衛門の専横に門弟らが反抗しそうになったとき,返り忠した功により2代目平吉の名を贈られ,梅屋の姓を再興。のち笛方に転じ,「御厩河岸の平吉」と称され,上手とうたわれた。

(小林責)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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