出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
梅屋 平吉(3代目)
ウメヤ ヘイキチ
- 職業
- 長唄囃子方(歌舞伎)
- 専門
- 笛
- 本名
- 島田 義三郎
- 別名
- 初名=梅屋 吉太郎,前名=岡安 喜三吉
- 出生地
- 山梨県 甲府
- 経歴
- 2代目平吉が甲府在住中、門弟となり、明治16年吉太郎の名を与えられる。30年ごろ上京、4代目岡安喜三郎方に寄宿し、岡安喜三吉の名で笛を吹いていた。のち2代宝山左衛門に属し、38年3代目平吉を襲名。
- 没年月日
- 大正12年 (1923年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
梅屋 平吉(3代目)
ウメヤ ヘイキチ
明治・大正期の長唄囃子方(歌舞伎)
- 没年
- 大正12(1923)年
- 出生地
- 山梨県甲府
- 本名
- 島田 義三郎
- 別名
- 初名=梅屋 吉太郎,前名=岡安 喜三吉
- 経歴
- 2代目平吉が甲府在住中、門弟となり、明治16年吉太郎の名を与えられる。30年ごろ上京、4代目岡安喜三郎方に寄宿し、岡安喜三吉の名で笛を吹いていた。のち2代宝山左衛門に属し、38年3代目平吉を襲名。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
梅屋平吉(2代) うめや-へいきち
1827-1893 江戸後期-明治時代の歌舞伎囃子(はやし)方。
文政10年生まれ。4代望月太左衛門の門人。天保(てんぽう)8年2代梅屋平吉を襲名。はじめは鼓方であったが,のち笛方に転じた。江戸浅草の御厩河岸(おうまやがし)にすんでいたところから「御厩河岸の平吉」といわれた。明治26年12月24日死去。67歳。前名は望月太八。
梅屋平吉(3代) うめや-へいきち
?-1923 明治-大正時代の歌舞伎囃子(はやし)方。
梅屋派笛方。甲府在住中の2代梅屋平吉に入門。明治30年ごろ東京にでて,4代岡安喜三郎方に身をよせ,喜三吉を名のる。のち2代宝山左衛門(たから-さんざえもん)に属し,38年3代梅屋平吉を襲名した。大正12年死去。山梨県出身。本名は島田義三郎。初名は梅屋吉太郎。
梅屋平吉(初代) うめや-へいきち
?-? 江戸時代中期の歌舞伎囃子(はやし)方。
梅屋派の祖。明和7年(1770)江戸森田座の囃子番付に小鼓方として名がみえる。安永元年まで同座で活躍した。
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梅屋平吉(2代)
没年:明治26.12.24(1893)
生年:文政10(1827)
江戸後期・明治期の歌舞伎囃子方。4代目望月太左衛門に師事。前名菊川吉太郎,望月太八。天保期(1830~44),4代目太左衛門の専横に門弟らが反抗しそうになったとき,返り忠した功により2代目平吉の名を贈られ,梅屋の姓を再興。のち笛方に転じ,「御厩河岸の平吉」と称され,上手とうたわれた。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報