日本歴史地名大系 「梅忠町」の解説 梅忠町うめただちよう 京都市:中京区日彰学区梅忠町中京区三条通烏丸東入東西に通る三条(さんじよう)通(旧三条大路)を挟む両側町。東側を東洞院(ひがしのとういん)通(旧東洞院大路)、西側を烏丸(からすま)通(旧烏丸小路)が通る。平安京の条坊では、左京三条三坊四保一三町南及び同四条三坊四保一六町北。平安中期以降は三条東洞院大路西。室町時代、禅僧で歌人の正徹の宅があったという。その歌論集「正徹物語」に「我が家は三条東洞院にありしなり。其向ひに奉行の治部と云たるものゝ所に月次ありて、冷泉為尹、為邦。前探題(今川貞世)了俊、その外近習の人々とも三十人あまり人数有しなり」とある。同じ頃、この地に酒屋「果元」があった(「酒屋交名」北野天満宮史料)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by