20世紀日本人名事典 「梅浦精一」の解説 梅浦 精一ウメウラ セイイチ 明治期の実業家 石川島造船社長。 生年嘉永5年6月13日(1852年) 没年明治45(1912)年3月 出身地越後国長岡(新潟県) 経歴長岡藩の儒者山田愛之助に蘭学を、明治元年江戸に出て石井謙道に医学を学んだが、医者をあきらめ、5年大蔵省紙幣寮に入り9等出仕、6年新潟県一等訳官兼新潟県学校教頭、次いで内務省勧業寮に転じた。さらに12年東京商法会議所に入り、渋沢栄一の知遇を得て、14年横浜生糸連合荷預所支配人。18年石川島造船所に入り、26年渋沢会長の下、専務取締役、42年社長となった。また東京湾汽船会社を設立、後藤毛織、東京水力電気、名古屋瓦斯、広島水力電気などの社長、取締役を務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梅浦精一」の解説 梅浦精一 うめうら-せいいち 1852-1912 明治時代の経営者。嘉永(かえい)5年6月13日生まれ。大蔵省,内務省につとめ,東京商法会議所などをへて明治18年石川島平野造船所(現石川島播磨(はりま)重工業)にはいる。42年社長。後藤毛織の社長,東京水力電気,名古屋瓦斯(ガス)などの取締役もつとめた。明治45年3月17日死去。61歳。越後(えちご)(新潟県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by