梶野甚之助(読み)カジノ ジンノスケ

20世紀日本人名事典 「梶野甚之助」の解説

梶野 甚之助
カジノ ジンノスケ

明治期の実業家



生年
安政3年3月25日(1856年)

没年
昭和17(1942)年8月5日

出生地
相模国津久井郡(神奈川県津久井郡)

主な受賞名〔年〕
内国勧業博覧会受賞(第4回)〔明治28年〕

経歴
8歳の時に父と死別して醬油業の丁稚となり、20歳頃には横浜灯台局に勤める。明治12年横浜市蓬萊町に自動車工場を開き、木製の前輪駆動二輪車及び三輪車製造を開始。のち事業の拡大を期して同市高島町に工場を移転。ここで現在と同じ鉄製・タイヤ使用の安全型自転車を製造し、28年にはその製品が電信用に納入されたのをはじめ、宮内省参謀本部にも採用され、一部は海外にも輸出された。28年第4回内国勧業博覧会で受賞、35年自転車業界を視察するためアメリカに渡るなど、我が国における自転車草創期の先駆者として活躍した。しかし、大正5年に工場を閉鎖晩年は東京都大田区に隠棲した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梶野甚之助」の解説

梶野甚之助 かじの-じんのすけ

1856-1942 明治時代の自転車製造者。
安政3年3月25日生まれ。明治12年横浜に工場をもうけ,木製前輪駆動の自転車の製造をはじめる。24年ごろ現在の自転車とほぼ同型の鉄製,タイヤ使用の安全型自転車を製造し,中国,ロシアなどにも輸出した。昭和17年8月5日死去。87歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。名は仁之助ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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