椋野村
むくのむら
[現在地名]下関市大字椋野・椋野町一丁目の各全域、みもすそ川町の一部
現下関市の南部にあたり、大鳥越山の東南で、四方は山に囲まれた小村。西は後田・幡生、東は藤ヶ谷、北は一ノ宮・熊野、南は赤間関後地の各村に接する。長府藩領で東豊浦郡前支配に属する。
慶長一五年(一六一〇)の検地帳に「椋野」とみえ、後田と合石で記載される。総石高は四六三石余、うち田三一町余で三九八石余、畠一二町余で四四石余、百姓屋敷四六。豊浦藩明細書によれば、田畠現作高一二石余で田高一〇石余、畠高二石余。
「長府毛利家乗」の文久三年(一八六三)五月二日の条に「営を椋野村に造り移住するを宗家に議す。
椋野村
むくのむら
[現在地名]久賀町大字椋野
東は久賀村、西と南は三蒲村(現大島町)に接し、北は海に面する。北東海上に前島を望む。南に立つ文珠山より北に流れる本川流域にわずかに平地が広がる。
椋野の地名は、嘉禄二年(一二二六)六月の周防屋代荘領家定文案(櫛辺文書)に「椋野浦」とみえるのが早い。村名の由来は「往古椋野兵部と申者芸州より罷下り、土地見合諸人を集め少々田畠切開、人里に相成申ニ付椋野村と申候」(地下上申)という。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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