20世紀日本人名事典 「植松七九郎」の解説
植松 七九郎
ウエマツ シチクロウ
大正・昭和期の精神医学者 慶応義塾大学医学部教授。
- 生年
- 明治21(1888)年11月3日
- 没年
- 昭和43(1968)年5月9日
- 出生地
- 長野県諏訪郡富士見町
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学医科大学〔大正4年〕卒
- 学位〔年〕
- 医学博士〔大正12年〕
- 主な受賞名〔年〕
- 勲二等瑞宝章〔昭和33年〕
- 経歴
- 東京帝大三浦内科、次いで精神科に大正7年6月まで勤め、同年7月渡米、マサチューセッツ、ダンバース両州立精神病院病理研究所員を経てボストン精神病院病理研究所員、ハーバード医科大学神経病理部各講師を兼任。12年論文「プルキニエ細胞樹枝突起と軸索における限局性腫脹について」で医学博士。同年4月慶応義塾大学医学部神経科講師、14年助教授、15年教授となり、以後28年間同教室を主宰。この間、昭和5年アメリカの国際精神衛生学会に日本代表で出席、第38回、46回日本精神神経学会総会の会長を務めた。さらに桜ケ丘保養院の設立、全国私立精神病院団体の成立を提唱、成立後理事長を兼任。また昭和医学専門学校(昭和大医学部)精神科教室の創設に尽力した。33年勲二等瑞宝章受章。著書に「精神医学」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報