精神医学とは,読んで字のごとく,精神の医学,つまり精神の異常ないし病的状態(精神病)に対する認識と治療をめざす医学の一分野である。このことは,精神医学にあたるドイツ語のPsychiatrie,英語のpsychiatryなどが,ギリシア語のpsychē(精神)+iatreuō(癒(い)やす)に由来するという事情に照らしても明らかなようにみえる。しかし,元来はそうでなく,ドイツの医学者ライルJ.C.Reilがその著書《精神的治療法の促進に対する寄与》(1808)ではじめてPsychiatrieという語を使った当時は,〈精神を癒やす〉のではなく〈精神で癒やす〉という意味だったことが確かで,つまり,精神の病気だけでなくすべての身体疾患にも適用しなければならない精神治療術ともいうべきものがPsychiatrieだったのである。
以上のような考えは精神医学の先行形態としての未開社会における呪術的医療ともむしろ正当に結びついている。未開人にとっては,今日のような医学的疾患としての精神病は存在せず,それを含めてほとんどすべての病気は,神々,悪霊,魔女など,超自然的なものの作用に帰せられた。したがって病気を癒やすためには,巫術,呪文,祈禱,歌,踊りなど,各種の呪術的方法を用いるのが自然だった。こうした超自然的疾病観に自然的疾病観で対抗しようとしたのが古代ギリシア・ローマの医学で,たとえばヒッポクラテスは早くも前5世紀後半その《神聖病論》で,てんかんの原因が神や聖なるものではなく脳にあることを主張した。そのほか,今日のうつ病と躁病にあたるメランコリアmelancholiaとマニアmaniaについても体液説の視点から解明を試みている。体液の変動を引き起こす要因としては,気候,風,水,蒸気,食物,遺伝,生活習慣などが挙げられた。また,病気の治療にはヘレボロス,マンドラゴラ,ベラドンナなどの薬草の投与から水浴,体操,音楽まで各種の自然的方法が用いられたが,このような対応を通じて病者自身に内在する自然治癒力を促すことこそ医師の役割とされた。
こうして精神の医学は古代ギリシア・ローマ期にその第一歩を踏み出したわけだが,中世に入ると,医学の進歩が全体的にとどこおり,外科学は理髪師の手に,産科学は助産婦の手に,そして精神医学は悪魔祓(ばら)いの僧と魔女迫害僧の手に,それぞれ帰することになる。当時のヨーロッパではキリスト教が支配力をふるい,その影響下で舞踏病,鞭打苦行,集団憑依などが流行し,やがて中世末期からルネサンスにかけて悪魔憑(つ)きdemonomaniaや魔女への迫害が激しくなり,嫌疑をかけられた多くの精神病者が拷問の末に断罪され処刑された事実はよく知られている。このように医学が〈宗教の婢〉と化した一方では,同じキリスト教の僧侶たちが6,7世紀ごろから修道院に病棟と薬草園を備えて精神病者に救いの手をさしのべる。ルネサンス期以後は,ヨーロッパ各地に精神病者のための収容施設や療養院がようやくつくられるようになるが,それらはいずれも家畜小屋に等しいもので,彼らはここで手足を鉄鎖で拘束されるなど,非人間的な処遇しか受けられなかった。
18世紀後半から19世紀前半には,精神病者へのこうした非人間的処遇に反対して立ち上がる人が出てくる。イギリスのヨーク市に理想的な施設〈ヨーク・リトリートYork Retreat〉をつくったクエーカー教徒の商人チューク,〈狂者を直接に治すことができるのは精神治療しかない〉として収容所の改革を説いた前述のライル,バイロイト近郊の施設を模範的な精神病院に建てかえ,病者と生活を共にした同じくドイツの医師ランガーマンJ.G.Langermannらがその例である。また,フランスのP.ピネルが,革命の進行しつつあった1793年8月25日,パリ近郊のビセートル病院で患者を鉄鎖から解放した事績は最もよく知られている。これについては,人間の解放のないところに精神病者の解放もありえないとする18世紀啓蒙思想の影響をみることもできるが,他方では,ピネルによる解放は身体の解放にとどまり,精神的にはかえって病者を道徳的抑圧のシステムに組みこんだというM.フーコーらの批判もある(反精神医学)。いずれにせよ,ピネルは精神病院の改革者として行動すると同時に,1801年には《精神疾患に関する医学-哲学的論考》を著して,〈近代精神医学の父〉とみなされている。
既述のとおり,Psychiatrie(精神治療)という用語も1808年につくられ,3年後にはドイツのライプチヒ大学にヨーロッパで最初の精神医学(正式にはpsychische Therapie=精神療法)の講座が設けられ,ハインロートJ.C.A.Heinrothがその教授に選任される。こうして精神医学は臨床医学のなかでしだいに一定の地歩を占めるようになるが,それが今日的な意味の学問体系を指すようになるのは,1850年ごろからヨーロッパ各地の大学医学部が必要な講座としてこれを設置しはじめてからである。当時の精神医学は,W.グリージンガーの〈精神病は脳病である〉という周知の言葉がよく象徴するように,疾患の本態を脳内に求める身体論的方向をめざし,他方で,遺伝・素因・体質などの要因を重視する内因論の方向を歩んだが,こうした方向は19世紀の末にE.クレペリンが精神病の記述と分類をなしとげて一応の完成にいたる。20世紀に入るとともに,精神分析のS.フロイト,それを容認して力動的な症状論を展開するE.ブロイラー,現象学の導入により方法論を整備したK.ヤスパースら,新たな勢力が台頭して,19世紀の精神医学に深さと広がりと高さを加える。これらがヨーロッパ全域で豊かな開花をみせるのはとりわけ20世紀の20年代で,ヤスパース,H.W.グルーレ,マイヤー・グロースW.Mayer-Grossを擁するハイデルベルク学派,R.ガウプとE.クレッチマーを擁するチュービンゲン学派,そしてクロードH.ClaudeとH.エーを中心とするフランスのサンタンヌ学派などがその重要な拠点となった。ただし,これらの開花が現代精神医学の繁栄をもたらすまでには,30年代から40年代半ばにかけてナチス体制下のドイツ精神医学が精神病者をガス室へ送りこむのに荷担するというあの暗い歴史が介在しているのを忘れることができない。
日本でも,中国の古医書をもとにした精神病の理論と治療は702年施行の〈大宝令〉の規定以来受けつがれてきたが,これが一応の学問的体系を完成するのは江戸時代中葉である。《一本堂行余医言》全22巻(1807・文化4)の巻五で精神病を詳述した香川修徳,《療治茶談》(1808)で独特の心疾論を展開した田村玄仙,吐方を一種のショック療法として精神病に用いた中神琴渓,その門下で《吐方論》(1817)を著した喜多村良宅らの貢献が注目される。とりわけ,江戸で10年間に1000人以上の精神病者を治療して名をあげた土田献(翼卿)は日本で最初の精神科専門医と目され,その治療経験をまとめた《癲癇狂経験編》(1819・文政2)は日本最初の精神医学専門書とみなされる。こうして築かれた江戸期の精神医学も,明治時代に入ると,ほかの漢方系医学と同じく急速に衰退し,西欧系の精神医学が代わって採用される。その最初の紹介が神戸文哉(かんべぶんさい)によるJ.R.レーノルズ編《内科学全書》(1872)中のH.モーズリー著〈精神病〉の章の訳出で,1876年に《精神病約説》を表題として刊行され,また,3年後には最初の精神医学の講義が御雇外国人の内科教師E.vonベルツにより現在の東大医学部で行われた。
ちなみに,日本では明治以後〈精神病学〉という用語が長く使われ,〈精神医学〉がそれに代わったのは第2次大戦以後のことで,後者は時の東大教授内村祐之の訳語といわれる。〈精神病学〉から〈精神医学〉への変化は象徴的で,これは精神病院のなかに密封されていた統合失調症など狭義の精神病を対象とした医学から,人格障害や神経症など社会内で生活可能な軽い異常状態をも扱う医学へという発展を意味する。それに相応して方法論も分化し,従来の生物学的次元に加えて心理的次元と社会的次元がますます重視されつつあるのが現状である。そして今日では,生物学的精神医学,内分泌精神医学,児童-青年精神医学,老年精神医学,力動精神医学,社会精神医学,家族精神医学,司法精神医学などがそれぞれ独自の活動を行っている。
執筆者:宮本 忠雄
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おもに精神障害の成因、病態、治療などについての研究と実践を目的とする臨床医学の一分野。脳機能と密接な関連をもつ正常または異常な精神現象を扱うためには、当然に自然科学的方法論と精神科学的方法論とを駆使する必要があり、この点では特異な医学領域となっている。自然科学的方法としては、脳の病理解剖学的、生化学的、生理学的探究に加えて内分泌学的研究も行われ、目覚ましい発展を続けつつある分子生物学やME(医用工学)の研究の成果の導入も試みられている。一方、精神科学的方法としては、精神障害者も人間関係のなかに組み込まれた全一体としての人間そのものであるという立場から、精神病理学、精神分析学、臨床心理学、社会学、文化人類学などによる多様な精神科学的アプローチがなされており、さらには実存哲学を背景として実相に迫ろうとするものもある。自然科学的方法は脳の器質的変化を伴う精神病などの解明に大いに役だち、精神科学的方法は発症や症状形成に対する社会的ならびに文化的要因の影響、人間関係の病態の解明に役だち、とくに神経症の成因とその治療については多くの貢献をしている。しかし、自然科学的、精神科学的のいずれの方法によっても、内因性精神病とよばれる統合失調症とそううつ病の二大精神病の成因については、その扉を開くことはできず、大きい課題を残したままであるのが現状である。
日本の精神医学は医学全般と同様にドイツを範とし、E・クレペリンにより体系づけられたPsychiatrie(ドイツ語)を導入して精神病を主対象とするものとし精神病学と訳したが、1936年(昭和11)精神医学と改訳した。対象は精神病、つまり精神障害にのみとどまらず、健全な精神の保持などにも寄与すべきものという主張が込められたものと思われる。第二次世界大戦後の精神分析学の成果を吸収したアメリカ精神医学の影響を受けて学際的な人間科学的な色調を濃くしているのは、その延長線上にあるものであろう。しかし、ふたたび生物学的精神医学の台頭が世界的にみられるのは留意すべき傾向であるといえよう。
[懸田克躬]
精神医学を基盤の臨床医学とした診療科の一つである。日本の精神医学は前述のように、精神障害に対する研究と診療に並んで神経疾患の研究と診療をも一つの講座が担当するドイツ医学のもとに歩んできたので、その診療科としての精神科も精神障害とともに主として中枢神経疾患をも取り扱ってきた。しかし、第二次世界大戦以降は、精神医学と神経病学とを画然と区別するアメリカやイギリスの医学界の主潮の圧倒的な影響のもとに、日本の精神医学、したがって精神科も精神障害をおもな対象とするようになった。しかしながら精神と脳との関係からみて、精神科の対象から中枢神経疾患をまったく除外することはできない。精神科が精神神経科または神経科とよばれるのは、このような現実と歴史的な過程とによるとともに、精神病に対する偏見から精神科の受診をためらいがちな世人に対する配慮によるものと思われる。この偏見も、治療学の進歩によって精神病すなわち不治という考えが打破されるとともに薄らぎつつある。
精神科治療の主流をなすものは薬物療法、精神療法、あるいは両者の併用のほか、必要時には電撃療法などで、かつて行われたような脳に外科的侵襲(手術によって生体が受ける種々のストレス。痛み、不安、炎症、出血などである。英語ではsurgical stress)を加えて症状の改善を期待する精神外科は、きわめて限定されたものとなっている。
[懸田克躬]
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